大判例

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東京高等裁判所 昭和25年(う)946号 判決

控訴人 被告人 早川留三郎

弁護人 松尾黄楊夫

検察官 小出文彦関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役壱年に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

被告人が昭和二十四年四月頃日本鋼管株式会社鶴見造船所に運送中の同会社所有の石炭三瓲を窃取したとの点は無罪。

理由

第一点について。

原審挙示の証拠中証人植田元太郎、同松原弘の証言は所論の通りであつて、要するに判示会社では帳簿上は判示石炭並びにコークスは全部納入されたことになつており、右盗難の事実は知らなかつたが警察から注意を受け又被告人自ら判示石炭及びコークスを運搬中に盗んだことを認めたので被告人の云う通り盗まれたものと認めて始末書を提出したもので、事実盗まれたかどうかは不明である、と云うに帰着する。従つて右証言のみによつては被告人の自白が単に架空の自白でないことを保証するに足りないものと云わねばならぬ。しかし証人北沢菊次郎の証言は要するに判示期間内に被告人からコークス合計二十四噸を買い受けたと云うのであつて右は被告人の自白が単に架空のものでないことを裏付けるに足るものであるから原判決がその他挙示の証拠と綜合して判示コークスの窃盗の事実を認定したのは相当である。記録を調査するに被告人の右自白は黙秘権を告げられた後なされたもので且つこれを読み聞けられて相違なき旨承認しているのであるから任意になされたものと認むべく強迫その他任意性のないものであるとの証左はない。又右認定が事実誤認であると認むべき点は存在しない。しかし判示石炭の窃盗の事実については前示植田元太郎、同松原弘の証言は前示の如くそれだけでは被告人の自白を補強するに足るものとは認め難く、その他挙示の各証拠によるも右自白を補強する証拠があるものとは認められないから、原審が右石炭の窃取の点を有罪と認めたのはその限りにおいて刑事訴訟法第三百十九条に違背した違法があると云わねばならぬ。よつてこの点に関する論旨は結局理由がある。

当裁判所が認定する事実は原審認定の一二及び四乃至六の事実と同一であり右事実は原審挙示の各証拠を綜合してこれを認定する。

法律に照らすと被告人の所為は各刑法第二百三十五条に該当するが以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条第十条により犯情重いと認める判示六の事実の罪につき定めた刑に法定の加重をなし、その刑期範囲内において被告人を懲役一年に処し、諸般の情状に鑑み同法第二十五条を適用しこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予すべく、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項により被告人にこれを負担せしめることとし、尚被告人が昭和二十四年四月頃日本鋼管株式会社鶴見造船所に運搬中の同会社所有の石炭三瓲を窃取したとの点(原判示三の事実)については刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をすべきものである。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 三宅富士郎 判事 荒川省三 判事 堀義次)

控訴趣意

第一点原判決は事実の誤認あるし法令の適用を誤ている。

(一) 原判決は其の理由の説明に於て被告人は昭和二十四年三月頃の午前十時から午后五時頃迄の間横浜市鶴見区安善町東京瓦斯株式会社から同区日本鋼管株式会社鶴見造船所に運送の途中同区内に於て右造船所植田元太郎保管に係る日本鋼管株式会社所有のコークス四噸、価額二万六千円外五回に亘り石炭三噸、コークス二十四噸を窃取した旨を判示しているし、其の証拠説明に於て「右事実は証人北沢菊次郎、植田元太郎、田中国蔵及松原弘の証言及被告人に対する検察官の供述調書の記載竝に被告人の当公廷に於ける供述の部分を綜合してその証明十分なりと認めた」と判示している。

(二) 然し右証人の証言中北沢菊次郎は(第二回公判調書)被告人より自動車一台四噸位づゝ六台分のコークス合計二十四噸を被告人より買受けた事は証言しているが被告人がコークスを窃取した事実については何等証言をしていないのみか、被告人からコークスは買つたが石炭は買いませんと証言しているばかりでなく「早川は窃盗をやる様な人間か」との問に対して「そんな悪い人ではないと思います」と答えている。

又証人植田元太郎は所謂被害会社の購買部の責任者であるが(第二回公判調書)判事の問に対して「鶴見警察署に呼出しを受けて盗難にあつたことを知つたのですが現品の受取りは倉庫係でして居りますので私はよく知りませんが倉庫課の松原係長の方では書面上は受取た事になつているが実際はコークス、石炭の現品を見ないで受取た事があるので盗まれたとすればその時の石炭、コークスではないかと云つて居りました、そこで松原は品物の送状だけ見て現品を確めずに受取り会社に損をかけて申訳がないと言つて謝つて居りました、従つて私はその松原の話ともう一つは警察で私が早川に会つた時早川が之だけの品物を自分が盗つたと云つたのとで石炭、コークスの盗難被害のあつた事を認めた様な次第です」と証言し、弁護人の「会社に盗難のあつた事はどうして認めたか」との問に対しては、「最初警察で君の所で四、五月頃石炭を盗まれていないかと尋ねられ更に警察に鶴見造船所に来るべき石炭が会社には来ないで他所に流れていると云ふ書類があつたので認めたわけですが、会社でも書面上は入庫していて松原主任が書類だけ受取て品物の量を確めなかつたので、例えば十五噸受取るべき物を他所へ流されて実際には十二噸位しか受取ていないのではないかと云ふ事と今一つは鶴見造船所へ輸送する石炭を外えやつたと云う早川の自供で盗難被害を認めたのです、然しそれが事実かどうかはつきりわかりませんと証言している。

之を要するに植田証人は警察に於ける誘導訊問により被告人早川の警察に於ける自白(?)に符合するように会社の被害を認めたものであつて自己の想像を恰かも真実であるかの様に思ひ込み原審公廷に於てもその様に証言しているのであるから同証人の証言は「それが事実かどうかはつきりわかりません」の一語に尽きるのであつて「被告人が窃取した」との証言にならないのである。

田中国蔵証人の証言は被告人の本件犯罪を肯定できる証言は何もない。

松原弘証人の証言(第三回公判調書)は「先方から送つてくる納入書と現品とを調査して納入書に記載された数量と同じ噸数の物を受取ています」「書類上は納入書と受入高は合つて居るのですが中には私に差支えがあつて受入れに立会はなかつた事がありますので盗まれたとすればその時に取られたのだと思います」と証言しこれも亦仮定的のものであつて「盗まれた」と明確に証言していないので盗まれたとの証言にはならないのである。

被告人の原審公廷に於ける供述は徹頭徹尾窃盗の事実を否認している事は記録に明瞭である。

斯の如く原審判決に引用した証拠を検討すると被告人が窃盗を敢行した証拠は全然無いのである。にも拘らず被告人の窃盗の事実を認めた原判決は判決に影響ある重大な事実の誤認ありと云はざるを得ない。尤も原審採用の検察官竹鼻虎之助作成に係る被告人の供述調書には被告人の本件犯罪を肯認するに足る事実の記載があるが其の記載内容は被告人の自白であり、又斯様な自白を為すに至つた事情は第六回公判調書記載の通り被告人は最初警察で本件は経済事犯であると強硬に主張したが警察官は飽く迄窃盗であると強いたので検察官も警察の延長であると信じた被告人は検察官に対しても弁解を為さなかつたものであつて任意に為されたものではないし、又その自白が本件では唯一の証拠であるので之によつて有罪にさるべきものではない。

(三) 原判決の確定する処によれば被告人は石炭四噸を窃取した事になつている。然し証人北沢菊治郎は被告人よりコークスは買つたが石炭は買いませんと証言している。被告人の窃取した石炭は何処にあるのか、又はどの様に盗品を処分したのか全然判明しない。だから此の点に対する証明は何もない。

(四) 然らば被告人が北沢に売渡したコークスや、又石炭が被告人にどうして入手出来たであらうかに付いて考へてみたい。

昭和二十四年三、四月頃には石炭もコークスも出廻つて相当豊富であつたが需要家である中、小企業は金廻りが窮屈で配給を受取れない者もあつたし又石炭やコークスが間に合つたりしていて毎月の割当量を取らなくても事業に支障のない会社もあつた。然し其の月の割当量の配給を受けなければ将来割当量を減じられる虞のあるので、需要者は割当切符は受取ても其の切符を転売する者があつた事は殆んど公知の事実であつて斯る方法によつて石炭、コークスを入手することは容易であつた。又被告が原審公廷で供述しているように荷後炭の出来る事も周知の事実である。被告人が昭和二十四年一月より仝年八月迄に鶴見造船に運搬した石炭は千百二十三噸、コークスは七百四十噸である(第六回公判調書)。総て代替物の運送には目減りを見込んで余分の量を送り出すものである。

本件の場合を考へると被告が運送したコークス総量七百四十噸に対し被告人が北沢に売つた量の二十四噸は僅かに百分の三に過ぎないのでこの程度の荷後炭の生ずる事は怪しむに足りないことが常識である。此の点に付原審証人松原弘は(第三回公判調書)問、証人が受取に何時も立会ていて其の間早川が持つて来る現品が不足して居た様な事はないか。答、私も経験で一目見ればコークス、石炭の量は大体わかります又東京瓦斯会社の秤を信用していましたので早川の持つて来る現品が不足していたと云ふ様な事は認められませんでした。問、早川から現品を受取る時実際受取る数量は納入書よりも多いか、それとも少し欠けて居る場合の方が通常多いか、答、大抵の場合は四噸の送りでも少々超過する様です一般に平均して少し多い位です。と証言して荷後炭の出る事を肯定している。被告人が北沢に売つたコークスが盗品であるとの証拠は何処にもない。被告人が北沢にコークスを売つた事のある点より推して直ちに之を窃取したものであると断ずるのは事実の誤認である。何となればコークスの入手は前陳の如く切符の売買により容易に現品を獲得することが出来るし、又被告人が原審に於て供述している様に自動車に積込む際目減を見込んでパイ助一、二杯宛余分に積込むことによつて百八十五名(被告人の運送したコークスの総量)の運送により六台や七台分の荷後炭の出る事は余りにも明瞭であるからである。

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